2021年12月11日 未分類

郡山、須賀川の仕出し弁当、宅配弁当、宅配オードブル屋のお弁当ランドです。
スイーツや誕生日ケーキも御利用いただいております\(^o^)/
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うなぎ弁当の注文がジワジワ高まっています。年末に向けてパワー充電、かつ、年末の感謝を込めて豪華に三枚うなぎ弁当は、とってもお得です!
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年末のオードブルや御用納め、そして、おせちのチラシが完成しております\(^o^)/
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御用納めの注文が多数入っております。きっと、忘年会はまだちょっと・・・というお客様には最適です!!
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また、おせちやクリスマスの需要が高まってきている気がします。ぜひぜひ、ご家族、お友達とのお祝いなら、全部任せて安心、お弁当ランドまで\(^o^)/
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改めてですが、お弁当ランドは、宅配弁当いたします!!
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また、フルーツサンドを組み合わせで御注文いただくことも多いです。
宅配しますので、ぜひぜひ、ご相談ください!
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お弁当ランドの特徴は、誕生日ケーキも、お寿司も、ピザも、オードブルも、ぜ~んぶ任せて安心(#^.^#)という所です(≧∇≦)
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社内で懇親会オードブルや社員さんが御自宅で楽しむお土産オードブルも準備しております!!
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Arigatoさんおせち、Arigatoさんクリスマスケーキの御注文もぜひぜひ~ヾ(≧▽≦)ノ
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以上です
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お弁当ランドは、生まれてばかりの時のお祝いやお食い初め、七五三の料理や誕生日会、歓送迎会やzoom飲み会の料理、法事法要など、いろんな場面で御利用いただいております。
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どんな事でも、お気軽にお問い合わせ、御相談ください!!\(^o^)/
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本日も、楽しんで、安全に営業いたします\(^o^)/
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今日も、お弁当ランドビジョン
『人と町の一生を彩ります!!!』
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誕生日、記念日、法事法要、会議研修、イベント、MR様、学校様や公的機関様に御利用いただくことが多くなっております。
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宅配弁当郡山と言えば、お弁当ランド
宅配弁当須賀川と言えば、お弁当ランド
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また宅配オードブル、宅配寿司、宅配ケーキも行っております!
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なぜなら、郡山、須賀川どちらにも近い、市境に位置しているから!!
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お弁当ランドでは、売上の一部をこども食堂に使わせていただいております。
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我々が大事に考える事は、少しでも地産地消を行い地元に貢献し、地域が継続して成長していけるように子供世代にも、少しでも貢献すること。
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お弁当なんてどこで買っても同じじゃん!ではなく、お弁当ランドでお弁当を買う事には、地域の子供達への貢献があるという事を知っていただくことがとても大事だと感じます。
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うなぎ豆知識
ちょっと値は張るけれど、精力がつくとあって人気の“うなぎ”。
うなぎ料理店では様々なメニューが提供されていますが、看板メニューともいえる「うな丼」と「うな重」は何が違うのでしょうか。
“うな丼”は江戸時代に誕生!
今年4月放送の「この差って何ですか?」(TBS系)では、“うな重とうな丼の差”について紹介。
老舗うなぎ屋「久保田」の女将さんに話を聞いたところ、
「うな丼とうな重では、うなぎの量が違うだけ」「うなぎ自体は全く同じもの」との答えが返ってきました。
うな丼とうな重には長い歴史があり、まずは江戸時代後期にうな丼が誕生。
人気は瞬く間に広まり、江戸の町に800軒ものうなぎ屋ができたといいます。
明治時代に入ると人気店がうな丼の出前を始めたものの、配達時間がかかるためうな丼が冷めてしまったそう。
そこでとある店主が、うなぎとご飯をつめた重箱をお湯入りの重箱で挟む方法を考案。
保温効果が高まり、うな丼を温かいまま届けることに成功しました。
重箱の見た目もあって、“高級感”が演出されたうな重。
しかし当時の重箱は丼よりひと回り大きく、うな丼と同じ大きさのうなぎを入れるとご飯が見えてスカスカな印象を与えることに。
解決策としてうなぎが増量されたため、うな丼よりもうなぎの量が多くなったのです。
うな丼とうな重の誕生秘話に、視聴者も興味津々。
ネット上では「うな丼がいつ誕生したか知らなかったけど、思いのほか歴史があってビックリ」
「うな丼とうな重のうなぎって同じだったんだ… うなぎの質が違うのかなって思ってた」
「保温のためのアイデアがうな重につながったのは面白いなぁ」といった声が相次ぎました。
続いて
<うなぎの歴史について>
日本ではうなぎの食用の歴史は古く、縄文時代まで遡ります。
縄文時代の土器からはうなぎの骨が出土されており、どのようにして食べていたのかまではわかりませんが古来よりうなぎを食用としていた事がわかります。
うなぎが初めて文献に登場するのは「万葉集」で、「武奈伎(むなぎ)」と呼ばれています。
大伴家持により「石麻呂に吾れもの申す夏痩せによしといふものぞむなぎ取り召せ」と詠われており、当時より滋養がある食物として認識されていたようです。
「むなぎ」と呼ばれていたのは「棟木(むなぎ)」に似ているとか、うなぎの胸の部分が黄色い「胸黄(むなぎ)」であるからなどといわれています。
<うなぎの蒲焼の誕生と歴史>
文献によりうなぎの蒲焼は1399年に存在していた事が確認できますが、当時はうなぎを筒切りにして串に刺して焼いており、多年性植物の「蒲の穂」に似ていた事から蒲焼と呼ばれていたようです。
室町時代には筒切りにして焼いて塩、酢味噌、辛子酢などで食べていましたが、室町時代末期には醤油、酒、山椒味噌などで味付けしていたようです。
現在の様に開きにして食べる様になったのは江戸時代になってからで、醤油と味醂ベースのたれをつけて食べていたようです。
江戸時代にはうなぎの蒲焼は大流行となり、料亭、定食屋だけでなく、庶民料理として露店で販売されていました。
1852年には「江戸前大蒲焼」なる江戸の鰻屋が221軒も掲載された番付表が出たほどです。